2023年、明けましておめでとうございます。
母親に「今年の抱負は?」と聞かれ、「たくさん歩いて綺麗なものを見ておいしいものを食べます」と言ったらモナリザのような諦観顔をされたあやめです。43歳です。
おいしいものを食べるのはいいのですが、長年がんばってもどうしても直らないBADマナーがあります。今回はその話です。
あなた、まだ口に入ってるでしょーが!!
私のBADマナーとは、「口にまだ食べ物が入っているのに次に食べるものを準備してしまう」ことなのです。
つまり、まだパスタを噛んでいるのに、サラダのレタスをフォークで刺しやすいよう調整したり、まだお米を噛んでいるのに、ご飯茶碗を汁物茶碗に持ち替えたりしてしまうのです。
先に言うとね、ひと様のことはいいんです。よそ様のマナーは、社会通念上セーフであれば私は何も求めません。
ただこれが「自分がどういう人間でありたいか」において完全アウトという話なのです。
人には求めないどころか最近はこういう感じよ
前は飲食マナーのガタついたおっさんが近くにいると「ちっ」と思ったもんだが、今は
— あやめ (@DamaskAyame) December 5, 2022
「お父さんどうぞしっかり食べてね…うちのお父さんもしっかり食べてるといいが…」と思ってしまう。わー年取ったな
このマナー、結構がんばって矯正しようとしているのですが、空腹のときなどは矯正をすっかり忘れ、ハッと我に返ることがあります。
どうしてこの食べ方はなかなか直らないのでしょう。ちょっと改めて分析してみました。
熱い食べ物が好き
やっぱり家庭で作った料理の多くは、出来たてがいちばんおいしいと思うんですよね。
家で私の食べるものは基本的に私が作っているので、アツアツが一番おいしいことも製作者としてよくわかっている。それがよくないのかもしれない。
「のんびり食べていたら作品のポテンシャルがどんどん下がってしまう・・・!」という気持ちが、冷めないうちに完食しようとさせ、それに伴ってマナーが崩壊してしまうのかもしれません。
そもそもよく味わっていない
よく味わっていない=噛んでいない
噛まないことを人に指摘されたことはありませんが、「ひと口食べたら箸を置いて30回噛みなさい」のアドバイスを、聞いただけで「無理だ」と思う程度には噛まないタイプの自覚があります。
椀(やグラス)を持ち替えるときか話すときか口を拭くとき以外カトラリーを置かないタイプです。改めて書くと本当に行儀悪いな!
噛まないから→今のひと口が早めに終わり→次のひと口の準備が早めに必要な気がする。書いていて恥ずかしいロジックです。
そもそも父が噛まない人でした。(存命です)
父が母と結婚する際、母の実家に挨拶に行ってすき焼きをごちそうになったのですが、
父の帰宅後「あの人どう思う?」と聞いた母に対し、祖母は唖然の名残が残ったような口調で
「あの方・・・あの方、噛まないわね・・・」と言ったそうです。5人兄弟の末っ子に生まれたせいなのか、人間性の印象を凌駕する噛まなさの父。
母は普通に噛むのに、食べ方って遺伝するのでしょうか。父は70に差し掛かるいまもまだ噛まない男です。
早く食べないといけないような気がする
「早く食べなさい!」と言われ始めたのは幼稚園のときです。食事中に遊んでいるわけでもないのに、なぜか食べるのが遅い子でした。
幼稚園の保護者会で「お姫様のように、ゆっくりゆっくり食べるお子さんもいる」という園長先生のお話があり、どうもその視線は母に向いていたよう。帰宅後、
「あんた今日何番めに給食食べ終わったの?」「いちばんさいご」
という会話を経て、危機感を覚えた母が私を立派な早食いに矯正してしまったのです。
早く食べないといけないような気がするから・・・→噛まない。
これはおおむね・・・母のせいなのでは?
なんということでしょう。私は噛まない父と早食いをよしとする母のサラブレッドだったのです。
母の矯正の成果がこれだけ残るということは、「たくさん歩いて綺麗なものを見ておいしいものを食べます」などという抱負を43にして抜かす立派なアンポンタンになったのも母のせいなのでは?
43にして年始から「親のせい」ムーブを発揮し、アンポンタンにクズ要素もプラスされた気がしますが
これから食事マナーを忘れたときは「私はサラブレッドだから」と、語感だけはカッコイイ言い訳をして生きていこうと思います。今年もよろしくお願いいたします。