子どもの頃たいへんなスカポンタンだった話

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ただ普通の日記
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今日はあのちゃりちゃりをもらえるのだろうか

子どもの頃、家から一番近い本屋さんは家の前の横断歩道を渡ってすぐそこだったため、母は私をよくお使いに遣っていた。

概ね買うものは週刊新潮と週刊文春である。

文春はその頃、週刊誌としてはわりと堅かったのよ・・・。今でいう「文春砲」のようなものは主にフライデーが請け負っていたと思う。

横断歩道を一人で渡って買い物に行くのだから4歳にはなっていたと思うが、私はその歳で「お釣り」というものの意味がわかっていなかった。

本屋のおばちゃんが雑誌をくれて、そのあとレジをゴソゴソする→お金をくれる日なので持って帰る

本屋のおばちゃんが雑誌をくれて、私と見つめあったあと「どうしたの?」と言う→お金はくれない日なのでそのまま帰る

本当にこういう法則でお使いを完遂していた。私にとって本屋のおばちゃんは「気まぐれに小銭をくれる人」だったのだ。

だから「どうしたの?」と言われると、こちらから小遣いをねだって失敗したような恥ずかしさを覚えていた。お釣りは親に渡していたのだが。

母は私に「初めてのおつかい」のような責任感を芽生えさせたかったのだと思うが、市場経済の基礎論理を教えるのが先じゃないですかねぇ・・・

お使いの帰り道のことも思い起こすと、その責任感は全く芽生えていないことが判明するのである。

焼き鳥を焼くのはとってもおもしろい

その本屋さんはスーパーなども入る小規模なモールにあったためか、本屋さんの外に出るとよく移動式の焼き鳥屋さんがいて、親父さんが焼き鳥を焼いていた。

子どもの私はその「焼き鳥を焼く手つき」を見るのがたまらなく好きで、下手すると数十分焼き鳥屋の前に突っ立っていた。

当然ながら親父さんにとっては相当邪魔のようで、苦笑しながら「お母さんにお金もらってきてねー」と言われるのだが、手つきを見るのが好きなだけなのでどかない

そもそもお金は持っているのだ。なんで本屋のおばちゃんがくれたのかわからないお金だけど。

そうこうするうちに母が横断歩道を渡って迎えにくる。そして焼き鳥屋さんへのお詫びに焼き鳥も買ってくれる。

二度手間なうえに損だと思うのだが・・・。まさに私に雑誌を買わせるのはガキの使いなのである。ガキの使いなら帰ってくるが、それもできていないのだから更に一段未熟といえよう。

母もまぁあんなにお腹を痛めてスカポンタンを産んだとは認めたくなかろうし、いつかまともになると思って二度手間でもお使いさせていたのだろう。

末路がわかっていたら即!寝てる間に橋の下コースだったと思う。返す返すも夢見がちな親というのはありがたいものである。

現在、母はまだ私の末路を受け入れないみたいで「小説でも書いて芥川賞取りなよ」と、冗談にしてはけっこうしつこく言う。

母のビッグドリームはこのまま永眠まで粘るつもりなのか、全くビッグになるつもりのない私は、人ごとの見地から観察を続ける所存である。

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