以前から、自分が日々思う掴みどころの無いことを置いていく場所がほしくて、エックスTwitterも最近はなんの頼りにもならないし、ここに置いていくことにしました。
父のお誕生日会にドサクサにまぎれご招待されるの巻
我が父もありがたいことに無事に70歳を迎え、妹家族が食事会を開いてくれることに。私はネクタイをあげて済ませたがえらいぞ妹。
上が中学生、下が小学生の姪ズにも会えたのだが、彼女らは会のスタートで既に仲たがいをしており、食事中に仲直りをして寄り添って戯れ(個室でした)、帰るときには再度やや不穏な雰囲気となっていた。
なんで君たちはそんなスピーディーに人間関係を作ったり壊したりできるの・・・
そういえば上の姪が赤ちゃん同然だったころは、大笑いしたり飛び上がって喜んだり大泣きしたりが一日のうちに2クールくらいあった気がする。
私44歳にはそんなこととても無理ですよ。そんな感情のジェットコースターが同日にあったら、その後2,3日寝込む自信がある。
化学的にいえば、毎日とる食事や睡眠が次の日のエネルギーになっているのだろうけど、子どもを見るととてもそんな風に思えない。
大人になるまでのエネルギーの全てがすでに格納されているとしか思えない。敵うわけない。
ちなみに食事会での私の料理を半分ほど姪に分け与えてしまったのだが、子どもに「おいしい✨」って言われると胃じゃないお腹のどこかがいっぱいになる。やっぱり人間はあんまり化学でできていない。
モリスを見て どこからどこまでが芸術か?
横浜のそごう美術館で開催された「ウィリアム・モリス」展に、「モリスはあまり・・・」と気乗りしない母を引っ張り出して出かける。
モリスについて学んでおけばアール・ヌーボーやラファエル前派への造詣も絶対深くなると思うから、自信をもって引っ張っていった。
私は去年府中美術館でも見たのだが「リスとナイチンゲール」をどうしても再度拝みたいという一念。
同じ展覧会の前・後期に行くようになったときも「(美術沼の)終わりの始まり・・・」と思ったが、ついに同じ展示品でもかまわず見にいくようになってしまった。
モリスのどこが好きかというと、彼の理想にはかならずジレンマがついてまわるところがたまらない。
庶民にも手が届く美しいものを作りたい、だから布は手織りから柄は手染めからと心血を注いでこだわるけれど、当然それにはコストがかかる。だから本当に届けたい層には買えない値段になる。
「もう多少は機械を使ったら…」との正論が仲間から出始めても、モリスおじさん、機械大キライ!!
これがたまらない。ジレンマにすごいドラマ性がある。(実際は織物などに機械の取り入れはあったそうだが)
理想にこだわり現実につまずき、周りが理想を崩して柔軟な方針を取り始めても、どうも追従できないヘンクツなおじさんっているよな。こういうおじさん特有の美しさってあるよな、と思うのだ。
ちなみに母は、これは芸術ではなく使用を前提とした工芸では・・・とやや疑問に思ったようだが、それを言ったら焼き物だって多くはそうだしなぁ・・・
私は、何が芸術かは個人の感性が線を引くものだと思う。だからモリスの作品だけでなく生き方も芸術だと思うし、まただからこそ母の意見を「違う」というのもおかしい。
しかし母は結局ミュージアムショップでモリスグッズを爆買いし、モリスデザインのブックカバーをブックに付けるたび「じゃじゃーん!」と見せびらかすようになったので・・・えー、楽しかったようで良かったですね。
おまけ ダイエットのカテゴリどうなったの
8月まで書いていた【先週の低糖質と糖質】のカテゴリが尻切れトンボで終わったのですが、なんで終わったかというと、10キロスルッと痩せてしまったからなのです。
正確に言えば、あまりの暑さに糖質制限を続けられなくなり(身体は緊急事態に置かれるとすごく糖分欲しがる)でも3食普通にとるとだるいのでオートファジーに切り替え、そうしたら空腹だと心身のコンディションがすごく良いということに気づき・・・
そんなかんじでダイエット開始からちょうど1年で10kg減を達成していました。冬の運動、春から初夏の糖質制限、夏本番からのオートファジーなど、意志が弱い臨機応変なダイエットでしたね。
欲をいえばあと7kg減ると美容体重なのですが、この生活を続けていけば自然と減る気がするので、ダイエットに特化した記録はおしまいとします。