【隠蔽された障害─マンガ家・山田花子と非言語性LD】から読みとく「定型発達は果たして【嘘つき】なのか」

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山田花子、といえば。

【ガロ】等アングラ系の漫画雑誌を中心に多く作品を残し、25歳を前にして自死した漫画家である。

人間関係においての矛盾を、過敏すぎともいえる感性で描写した、読むと気分が暗くなるような、とくにはっきりしたオチのない作風が特徴となっている。

Amazonでも彼女の作品がラインナップされているので、興味のある人はくれぐれも希死念慮のないときに読んでみてほしい。

また、死に至るまでの生活を苦しさに満ちた文章で綴った【自殺直前日記】も、大変身につまされる本である。

当記事でテーマとする本【隠蔽された障害】は、精神科医の石川元氏が、山田花子氏の残した作品や日記や診療カルテなどを引用しつつ、自死に至ったのは存命中に診断された病名の他、もっと根本的な要因があったのではと考察する本である。

しかし、本の出版後遺族から「伝記の形をとるはずだったのに、これでは病理分析である」との抗議が上がり、絶版となったといわれる曰く付きの本でもある。

そのため、文章中にある山田花子氏のプライベートについてはここでもあまり触れないこととしたい。

しかし、【非定型発達(発達障害)が定型発達に感じる非合理さや矛盾】を読みとく面では非常に説得力のある本であった。

ここでテーマとするのは【定型発達はほんとうに「嘘つき」なのか】ということである。

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定型発達は「嘘つき」で「不誠実」なのか

結論から言うと、石川元氏が山田花子氏を分析した結果推察したのは「発達障害(アスペルガー)」ではないか、自死の原因になったといわれる病名は、アスペルガー由来の二次障害ではないか、である。

つまり彼女は「定型発達仕様の世の中で生き続けられなかった非定型発達」と描写されている。

さて、話は変わって、非定型発達(発達障害)のうち多くの人は、定型発達を「嘘つき」と思うことがある

(※これを含めて以降「多くの」とは「多くの」という意味であり、「大多数の」という意味ではありません)

「誰が」そう言っているかを挙げるのは良くないので、試しにSNSで「定型発達 嘘つき」と検索してみてほしい。

非定型から定型を描写すると、しばしば以上の割合で「嘘つき」「不真面目」「不誠実」と評されることがわかると思う。

定型発達からすれば、障害者の迷惑な思い込みかもしれない。

しかし、実際わたしの目から見ても

定型発達には必ずといっていいレベルで「処世術としては問題ない(誰も問題にしない)レベルの二枚舌/ダブルスタンダード」がある

こういう言い方に変えると、多少の思い当たりがあるのではないか。

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これを石川元氏は

世の中では日常茶飯事と思われる、ひとりの人間がこちらに発する言葉に含まれる(ほとんどは気にしないで忘れてしまうような)矛盾や、仔細に検討した場合にのみ露呈する一貫性・整合性のなさ

「隠蔽された障害」 石川 元 岩波書店(2001) 236頁

と描写している。

山田花子氏の作品描写でいうなら

「自分が告げ口した結果すごく怒られた人に対し『気にするな』と慰める」

「相手の行動を貶し、相手が恥ずかしがってそれをやめたら、後日なぜやめたのか不思議がる」

「自分が1秒前にディスった人を、手のひらを返して褒める」

「自分が振った話題を相手が広げたら『そんなんどうでもいいけどね』とまとめる」

などだろう。

私の個人的な体験では

「配偶者の悪口を何時間も聞かされた結果それは全部のろけであった」などがある。

この二枚舌を多くの発達障害は「あえて意識すれば」できると思う。しかし、定型のように、それをやった上に無意識なので気づきもしないレベルに達することは、おそらくできない。

「今私は〇〇を目的として嘘をついているなぁ」と脳内でナレーションが流れるくらい意識しているし、ものすごくくたびれる。

こういう違いのため、定型発達はしばしば、非定型の目から見るとものすごく不誠実にみえる。

それをもし指摘すれば、大抵の場合

「真面目すぎ」

「細かすぎ」

「そこまで深く考えないよ」

が返ってくる。

「もういい歳なんだから」という、一見論点をただずらしたような返答があることも多い。

この現象について、山田花子氏の父親は書中で

それぞれの人が使い分けしていることを「差別」だと言ってます。段階をつくって人と付き合っていくことは、普通は「差別」とはいわないのだろうが、山田花子にとっては「差別」になる。実際に「詐欺」をしなくても、本音と建前で巧みに世渡りしている人は彼女にしてみれば「詐欺師」ということになる。

「隠蔽された障害」 石川 元 岩波書店(2001) 231-232頁

と述べている。

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「大人になる」の定義のズレ

この【隠蔽された障害】を読んだあと、このギャップについて考察すると、推測されるのは「定型と非定型では【大人になる】の定義が違うのではないか」ということである。

定型発達においての「大人」とは

細かい事実にこだわり過ぎるのをやめて、自分にも周りにも「処世術として問題ないダブルスタンダード」を無意識に使えるようになること

ひいては

子供の頃に教えられた「嘘をついてはいけない」「誠実でなければならない」の教えから(処世術として問題ないレベルで)卒業すること

であり、(わたしを含め、おそらく多くの)非定型にとっては

子供の頃からの「嘘をついてはいけない」「誠実でなければならない」の教えを完成形まで体現できるようになること

ではないだろうか。

だから、この点で二者はいつまでも交わることはない。

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事実vs現実

このギャップのからくりを、石川元氏は「差別をしてはいけません」と教えられた際の定型と非定型の受け止め方に言及してこう解く。

適応の良い多くの健康な子どもは、「『差別というものは(世の中に)存在するべきではない』と考えているようにみせる」ことが最も重要であると認識する。(中略)

当人たちにとってみれば「『差別というものは(世の中に)存在するべきではない』と考えている」ことと「表問題児」をいじめによって「差別する」ことはおおいに矛盾するが、「『差別というものは(世の中に)存在するべきではない』と考えているようにみせる」ことと自分が「表問題児」をいじめによって「差別する」ことは少しも矛盾しない。

ところがそのような器用な二重性は、「裏問題児」(「アスペルガー症候群」傾向のある子ども)には決して理解することはできない。(中略)そこでクラスメートの言動に大きな矛盾を感じる。

「隠蔽された障害」 石川 元 岩波書店(2001) 234-235頁

ここではアスペルガー症候群が例となっているが、ADHDの私も多分にこの傾向がある。

つまり、定型発達基準の「大人」になれるかは、上記の理論に基づくと

「差別はいけない」と教えられたとき、その意味は結局「『差別をしている』と思われてはならない」「『差別はいけない』ことにせねばならない」だと無意識に掴めるかが分かれ目になるのである。

掴める人にとっては他の倫理についての教えも「〜してはいけない」ではなく「〜してはいけないことにする」なので、「処世術のダブルスタンダード」は本人の中で矛盾しない。

それを掴めない人はどんどん矛盾を感じていく。

多くの非定型は、「差別はいけない」と教わった「事実」にこだわる。定型は、すでに「そういうもの」と回っている「現実」だけを意識していく。「事実」は現実の回り方の「出発点」にすぎない。

もちろん、本当に「差別はいけない」と考える定型もいるだろう。

しかしそれはおそらく「いけないことにする」ときもあるor人もいることを掴みつつの「でも差別はいけない」という捉え方なので、一種類の意味にしか捉えられない非定型とは、感じる矛盾のレベルが違うのではないだろうか。

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石川元氏は本書の最後で

山田花子との貴重な出会いは、差別の本質というものについても、多くを考えさせてくれました。(中略)さまざまな能力への「平等」のお仕着せこそ、大きな「差別」なのです。

「隠蔽された障害」 石川 元 岩波書店(2001) 269-270頁

と述べているが、発達障害はこの「お仕着せ差別」をもろに受け止める立場でもあるので、矛盾を感じる場面がさらに多くなっていく。

しかし、「掴み方」のメカニズムを理解しないまま、定型発達を「嘘つき」と揶揄しても、非定型側のストレスが増大するだけで世の中が変わるわけではない。

定型のダブルスタンダードは「不誠実」というより(不誠実ではあるけど)「言葉通りに掴まない」という処世術を、生まれつき当然のものとして持てるかどうかの問題なのだ。

この暗黙の了解を了解しないまま、彼らを非難するのはいかがなものだろうか。芸人同士が平手でツッコミを入れるのを「暴力だ!」と騒ぎ立てるようなものかもしれない。

矛盾から逃れられない非定型発達は「考えすぎ」「真面目すぎ」なのではなく「お約束を知らなさすぎ」なのである。

べつに、非定型特有の矛盾を感じることが無駄なストレスだとは思わない。文化やテクノロジーの発展はいつも「しょうがないじゃ済まないだろ」から始まるものだから。

しかし世の中のおおむねを「いつも通り・疑問を抱かず・深く考えず」回していく定型素質も、発展が生まれるには大切なことである。

・・・結局いつもの「良し悪しではなく【違い】」という綺麗な結論に落ち着いてしまうが、非定型が陥りがちな定型への恨み節が、ひとつ減る助けになればいいなと思う。

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