【六号病棟 チェーホフ】に問われる「君は針の前でも哲学していられるか」

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採血が、とにかく怖いんですよね・・・

どう叩いてもこすっても血管が出てこず、看護師さんが2人掛かりで私の腕を前に推理を繰り返し、最終的には採血だけ後日になったり婦長が登場したりという腕を持っております。

ただちょっと針を刺すだけじゃないですか?

私もそう思うんですよ。もう今年四十路ですし、ただチクっと針を刺すだけのことがなんぼのものか、自分の去年のびびり具合に家で笑ってしまったりするのです。家でどこかにぶつけたりワックス脱毛したりする方がよっぽど痛いじゃないですか。

しかし、採血当日、いよいよになるとどうしても恐ろしい。「臆病風」とはよく言ったもので、採血ルームに近づくと、空気の肌触りや流れが変わってしまうのです。

「チクっとするだけじゃん」なんて笑ってられるのも、怯える自分を俯瞰していられるのも、ひとえにその場にいないからなのですね。

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あらすじ

貴族の大学生イワン・ドミートリチは、突如、家が没落して無一文となる。知的で誠実で優しい性格の彼であったが、孤独で貧しく、苦しい生活を送る中で強迫性障害を発症し、六号病棟に送られる。

六号病棟は慈善病院の離れにある精神疾患用の病棟で、医師の訪問もなく、暴力的な軍人上がりの番人によって管理されていた。

部屋は不潔で異臭が漂い、環境としては動物小屋に近い。洗顔用のタオルすらもないため、患者は洗顔のあと服のすそで顔を拭く。

食事は毎日同じ貧相なメニューを2食に分けて食べ、娯楽と呼べるものはなにも無い。症状が改善したと認められるまで(そんな日は来ないのだが)ただそこに幽閉されているのだ。

ある日、慈善病院にアンドレイ・エフィームイチ・ラーギンという医師が赴任してくる。知を愛し、誠実な人柄のアンドレイは、病院全体の惨憺たる様子を見て心を痛めるが、権威を奮ってそれを改善しようとする意志の強さは持ち合わせていなかった。

アンドレイは哲学を愛し、物事を「マクロの視点」から見ることを習慣づけている。すべての現象は必要があるから存在しているのであり、忌まわしいこの現状もまた然りである。人は苦痛によって成長するのであり、たとえささやかな治療に励んでも、人が生まれ、苦痛によって生き、死んでいく現象に干渉することはできない。

アンドレイは、来る日も来る日も終わらず、なんの成果もあげていないように見える治療業務と、善良ではあるがあまりに世俗的な人間に囲まれていることに疲れ、次第に医師としての業務を放棄していく。毎日5人ほどの患者をおざなりに診察し、自宅でウォッカを飲みながら読書にふけるようになったのだ。

劣悪な環境がそこにあることを知りながら、目をそらすように読書や、気取った友人との「知的な語り合い」に耽溺する日々。

そんなとき、アンドレイはイワンと出会い、彼の知性と高踏的な人格に感動する。「単純で、実際的で、仕事熱心で、鈍重な」人間ばかりいる中で、知を愛するのはわれわれ2人だけだと感じたアンドレイは、イワンと議論を交わすため、足繁く六号病棟に通うようになった。

アンドレイはディオゲネスを引き合いに出し、人間はどんな劣悪な環境でも平安と幸福を見いだすことができる、と主張する。イワンはそれを、親に殴られたことさえなく、医師の肩書に甘んじてほとんど労働もしないでいられるアンドレイの「机上の空論」だと嗤う。結局のところ、環境に余裕があるから哲学していられるのだと。

アンドレイが足繁く六号病棟に通っていることは、いまや病院中の噂になっていた。周囲の人間が彼を遠巻きにするようになる中、アンドレイは友人と旅行に出かける。帰ってみると、新任補佐医師だったホーボトフが、アンドレイのものだった椅子に座り、彼が官舎を明け渡すのを待っていた。

哲学に耽溺して、現実を見ないことの代償

まぁ、このあとアンドレイは六号病棟に入れられて大凋落していくんですけど。

アンドレイにとっては、六号病棟を含めた劣悪な環境は「記号」にしか過ぎないわけです。その劣悪に放り込まれることによって、初めて記号がリアルになる。この「悟りがもぎ取られる瞬間」の描写が素晴らしい。

「あれこそが現実なのだ!」とアンドレイ・エフィームイチは考えた。そしてぞっとした。
月も、監獄も、塀に植えられた釘も、骨灰工場の遠い炎も恐ろしかった。(中略)ぞっとするほど恐ろしかった。
「六号病棟・退屈な話」 チェーホフ 岩波文庫(2009) 241頁
アンドレイ・エフィームイチはしきりに自分を納得させようとした。(中略)あらゆるものは時とともに朽ち果てて土に還るのは当然じゃないか、と。だが、やにわに彼は絶望に捕らわれた。両手で鉄格子に摑まると、力のかぎり揺すってみた。がっしりとした鉄格子はびくともしなかった。
「六号病棟・退屈な話」 チェーホフ 岩波文庫(2009) 241頁
このことを、巻末で松下 裕氏は
無意識の特権者ラーギン医師は、(中略)すべての特権を失って初めて、それまでの不公平な自己の生き方に気づかされる。それまでの現実と遊離した考え方と生き方は、現実とぶつかって初めて正当に復讐されるのである。
「六号病棟・退屈な話」 チェーホフ 岩波文庫(2009) 381-382頁

と解説しています。

冒頭で、六号病棟がいかに劣悪で希望のない環境であるかの描写がされるからこそ、アンドレイの行く末について、読者も一緒にぞっとできるでしょう。

チェーホフが「もうテーマについては語れたからいいや」と思ったからかどうかはわかりませんが、終わり方はちょっと尻すぼみな気がします。見方によってはハッピーエンドと言えるかもしれない。

私にとって「六号病棟」は、現実から逃避するための「問題をやり過ごす免罪符としての哲学」がたどる末路のストーリーでした。

「六号病棟」のあらすじ紹介やレビューを辿ってみると、多くのコンテンツで「正気と狂気の紙一重ぐあい」に言及されているのですが、どうもそういう話としては入ってこなかった・・・

「正気と狂気の紙一重」ってどこのことだろう。アンドレイは途中ちょっと激昂したりしたけど、最後まで正気に見えたけどな・・・

正気の人間が、善良だけど愚かな周囲に「狂気」と見なされてしまうと弁明や証明のしようがない恐ろしさということ?それは「ストーリー」ではあるけど「テーマ」としては入ってこなかった・・・

なんでみんながわかるところ私には入ってこなかったんだろう・・・

その理由を考えるとだんだん恐ろしくなってくるので、これにて擱筆といたします。

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