【モテる構造─男と女の社会学 山田昌弘】でわかる 家事をしない男性の口にできない心細さ

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「モテる構造」という題名の本ですが、じつは「これを読んで君もモテモテになれるテクニック!LINEは即レスしろ!」みたいな本ではありません。「パラサイト・シングルの時代」の著者、中央大学教授の山田昌弘氏によるジェンダー論の本です。

わたし?わたしはもちろん内容については知ってましたよ!まさかこれを読んでバリバリモテようなどと思ったわけじゃありませんよ。ほんとだもん!!

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「らしさ規範」の非対称性

女性は、スカートをはいてもジーンズをはいてもおかしくない

男性は、スカートをはくとおかしい

デキる男は モテる

デキる女は モテるとは限らない

女性は、専業主婦になってもキャリアウーマンでも、ふつう

男性は、専業主夫になると、ふつうではない

この世には「男性らしい」と「女性らしい」という考え方があります。それがあることが良いことかどうかはともかく、あるかないかで言えば、あるのです。

上にあげた例のような非対称性を、意識の上では「持つべきではない」と思うかもしれません。意識の上での非対称性は、不公平や不平等に繋がることがあるからです。しかし、意識の根底にある「感情」のレベルで、違和感を感じないことはなかなか難しい。

どんな人でも(法律の中なら)好きな服を着ることが素晴らしい、と意識では本当に思っていても、群衆の中にスカートをはいたおっさんがいたら、やっぱり一瞬感情が「えっ」と思ってしまうのです。

ジェンダー論の中には「すべき」があふれています。「〇〇と思うべき」「〇〇と思うべきではない」。それは意識の改革です。しかし、意識の根底には感情があり、この感情でどうしても感じてしまう非対称性には、あまりスポットがあたりません。

男女は平等であるべき、という運動の結果、男女ともがどんどん中性的なスペックや特質に変わっていったとして、ではそれが異性として魅力的であるか、つまり「モテるか」という、コントロールできない感情論は無視されがちなのです。

「自分は女ではなく男である」「自分は男ではなく女である」という意識が、男女それぞれの感情の中にある限り、社会の中の「男性(女性)らしさとはこういうもの」というある程度の規範、いわゆる「らしさ規範」はなくなりません。

人間としてみれば同じ属性なのに、男女によって、その損得が逆になることがある。つまり、男女の生きづらさに「非対称性」があるということだ。

「モテる構造─男と女の社会学」 山田 昌弘 筑摩書房(2016)  34頁

重要なのは、感情で感じてしまう「らしさ規範」をなくそうとすることではなく、らしさ規範による「生きづらさ」の方を可能な限りミニマムにしていくことです。

そのためには、意識の改革を求める「べき論」だけではなく、根底にある感情を紐解き、男女それぞれの生きづらさの「構造的な違い(非対称性)」を紐解いていかなければなりません。

そうとは限らない症候群

こういう話をしていると、必ずどこかから「そうとは限らない症候群」の鳥がやってきて「ソウトハカギラナイ!ソウトハカギラナイ!」としゃがれた声でさえずるのですが、山田先生は

ただし、フェミニズムの論者に指摘されなくても、それは普通の人にも分かっていることではないだろうか。男だってスカートをはけるし、泣く男はいるし、背の高い女性、活発な女の子がいることは、誰でも知っている。

「モテる構造─男と女の社会学」 山田 昌弘 筑摩書房(2016)  60頁

とおっしゃいます。また「これは例外研究の本ではない」ともおっしゃっていますのでお前は羽をむしって焼き鳥だよ

逸脱の非対称性

女性が男性らしさの規範に従うことは、本人にとっても世間にとってもあまり問題視されません。いわゆる「女らしくないことをする」というものです。

あぐらをかく、汚い言葉を使うなど、「男性らしい」振る舞いをしたとしても、女性の中で「女でなくなる」という不安はあまり生まれません。

女性の社会進出が進み、かつては「男の仕事」とされるものに就く女性が多くなったことは、女性にとっては「良いこと」と見なされます。

しかし、男性はそうではない。

男性は、いわゆる「女性らしい振る舞いをする自分」を感情的に許容できません。ジョークではするかもしれませんが、「ジョークである」ということは「あくまで偽りの姿である」という絶対的な前提です。

男性らしい振る舞いをする女性は、女であるというアイデンティティは揺らぎませんが、男性は女性らしい振る舞いをすると、男であるというアイデンティティが揺らぎやすいのです。

(私事ですが、ここの記述が先日レビューした【女装して、一年間暮らしてみました。─クリスチャン・ザイデル】の私の感想と見事に一致していてめちゃくちゃ嬉しかったです。)

男はつらいよ──じゃあ女になろう!【女装して、一年間暮らしてみました。 クリスチャン・ザイデル】
ももひきを便器に流そうとした過去のある男、ストッキングと出会う─この本はそんな風に始まる。 女性にとって男性の世界がどう見えるかの意見は世に溢れているが、男性にとって、女性の世界はどう見えるのだろうか? 著者のクリスチャンにとっては、それは...

私も、例えばカフェで女言葉を話す男性が近くにいたら「・・・エックスジェンダーの人かな」と思うでしょう。セックスとジェンダー両方が男性であるとは思い至りません。

つまり、男性が女性らしく振舞うことには、男女ともがより違和感を感じやすいのです。

かつて「男性のもの」とされていた仕事に就く女性は多くいますが、「女性のもの」とされていた仕事に就いている男性は多くはありません。

これだけを見ると、この非対称性は男性に不利だと思うかもしれません。しかし、この非対称性は、女性差別の感情と非常に密接に関連しているのです。

どうして家事をしない共働きの男は多いのか

かつて「女性のもの」とされていた仕事に就いている男性の数が少ないひとつの理由は、そもそも希望者が少ないからです。その理由を山田先生はこのように記述しています。

性別規範からの逸脱の許容度が男女によって異なるのは、男性が女性よりも地位が高いと思われているからである。また、男性的な要素は人間的な要素、一般的な要素とされるのに、女性的な要素は、人間的ではない要素、劣った要素、特殊な要素という意味づけがなされる傾向がある。それゆえ、劣性の性(女性)が優位な性(男性)の特徴を取り入れるのはよいが、男性が、わざわざ劣性の性の特徴を取り入れることには、抵抗感があるという傾向が導き出される。

「モテる構造─男と女の社会学」 山田 昌弘 筑摩書房(2016)  79頁

この理論からは、多くの男性の職業選びについてだけでなく、家事に対する価値観も紐解くことができます。平たくいうと、共働きで家計も折半なのに、仕事ばかりして頑なに家事や育児をしない男性には、

仕事は人間として一般的なことだから、女性も行って問題ない。しかし家事や育児は「オンナの仕事」だから男はやるもんじゃない

という心理が働いているのです。さらに、この心理は男性特有のものではなく、社会が持っているもの、つまり、多少なりとも女性の中にもある、というのが重要な点といえます。

なぜ、仕事の種類によって、男女の感情はこのような意味づけをしてしまうのでしょうか。

「男の仕事」と「女の仕事」

近代社会には「市場労働」と「家事労働」があります。市場労働とはつまり「お金を稼ぐこと」。家事労働とは家事や身内の介護や育児の「お金にならない労働」です。

市場労働には競争があり、その成果は数字で表すことができます。

家事労働には競争がなく、成果を数字で表すことは難しいものです。

ちなみに、介護職や保育職など、かつて家内で行われていた労働のうち「ひと」を扱う仕事は、市場労働になっても「女性職」になりやすい傾向があります。

かつて家内で行われていたとしても、調理や服飾デザイナーなど「もの」を扱う仕事は数字で成果を表すことが容易であり、それが、男性職になる傾向のひとつの要因です。

しかし、介護や保育など「ひと」を相手にする仕事は数字で成果が見えにくく、「愛情で行われる」と錯覚されやすいものです。そのため、愛情で行う無償の家事労働と認識が類似してしまい、それが、報酬が低くなりやすい要因のひとつとなっています。

さて、近代社会では市場労働を男性が行い、家事労働を女性が行うという傾向が長く続いたため、現代では

市場労働─男らしい

家事労働─女らしい

という性別の「らしさ規範」があります。

人間として優れているかはさておき、社会で「男(女)らしい」と見なされるには、この規範に沿う必要があるわけです。

女性はバリバリ仕事をしたとしても、家事の能力と実績があれば「女らしい」と見なされます。男らしい市場労働をしていても、プラスして家事労働もしていれば、「女らしさ」は揺らがないのです。

一方問題なのは、男性の性へのアイデンティティが女性よりも揺らぎやすいことです。

たとえバリバリ仕事をしていたとしても、そこへ「女性らしい」とされる家事労働が入り込んでくると、「男であること」が自分の中で揺らいでしまう。

つまり、「オンナの仕事」に手を出すと男じゃなくなっちゃうんじゃないか、という大きな恐れを男性は持っており、これが女性にはないのです。

この揺らぎの非対称性が、「男の仕事」「女の仕事」という分業がいつまでも消えない大きな要因のひとつとなっています。

男性に家事をしてもらうには?

しかし、性別による分業が消えない原因はそれだけではありません。これには「モテ」も深く関係している、と記述は続いていきます。

作中では他にも

お金持ちや高学歴の男性がモテるのは本当にそのスペックの問題なのか

男性はどうして女性より性欲が強いのか

女性はどうして恋愛にロマンスを多く求めるのか

などについて考察されています。

「ジェンダー論」というと身構えてしまうかもしれませんが、どちらの性別に寄ることもなく、本当に理路整然とした内容で納得しながら読める本でした。

最後に、これは山田先生の記述ではなく私の意見ですが、男性に女性的な仕事をしてもらいたいときは、その仕事の男性的な面を強調するといいのかな、と思いました。

「さすが力があるわね!」とか。「やっぱり男の人は無駄がないわね!」とか。

そんなことまでするくらいなら私がやったほうが早いわよ、という気持ちは身にしみてわかるのですが、千里の道も一歩からと言いますし、家事をするとき、男性には女性がわからない心細さがある(らしい)のです。

男女の違いをなくすのではなく、違いによる生きづらさを小さくするために、悩んでいる人に読んでいただきたい良書でした。

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