【太宰治】酒飲みに終戦はないのです 「禁酒の心」

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太宰治
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短い短いお話「禁酒の心」です。

太平洋戦争中、酒が配給制になり、酒場でも「酒を出す側」と「飲む側」の立場が逆転し始めた頃。酒飲みというものがいかにみっともないか、酒を飲むためにさらす浅ましさを、飲む側視点から描いています。

酒に重きを置かない方にはコメディチックな描写でしょうが、酒にはまり込んだ我々酒飲みからすると他人事ではない。頭を抱えたくなるようなトゲだらけの短編です。

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酒飲みに平和は来ない

一升の配給酒の瓶に十五等分の目盛りを附し、毎日、きっちり一目盛ずつ飲み、たまに度を過して二目盛飲んだ時には、すなわち一目盛分の水を埋合せ(中略)両者の化合発酵を企てるなど、

また配給の三合の焼酎に、薬缶一ぱいの番茶を加え、その褐色の液を小さいグラスに注いで飲んで、このウイスキイには茶柱が立っている、愉快だ、などと虚栄の負け惜しみを言って、豪快に笑ってみせるが

正直私は似たようなことをしている・・・

週に何杯ならガンにならないの?アルツハイマーは?何杯じゃなくて何ml?アルコール換算で?150?ビールはノーカウント?

休肝日?2日?連続じゃなきゃダメなの?じゃなくていいだろ。いや1日でいいだろ。先週やったから今週はいいだろ。

酒が毒であることを、酒飲みほどわかっているものはいない

血行が良くなる。ポリフェノールがある。少量なら飲んでいる方が長生きする。そんなことを本気で信じているのは「まだ大丈夫エリア」の人たちだから。

目盛りこそつけないものの、恐怖と理性が配給する限られた酒を、なんとか満足できるようにやりくりして飲むのが酒飲みなのです。一定以上酒が入れば、上記のような言い訳をして「配給元から酒を盗む」マネまでするのです。

まだ飲んでいい?まだ大丈夫?・・・・・・もうどうでもいいや!

このバカさ加減を月サイクルならともかく、毎日繰り返していることも多いのだから「ただ精神をあさはかにする」と太宰の言う通り、酒飲みというのは愚かなものです。

そこまでわかっていながら、なぜ禁酒しないのか。

機が熟さぬとでもいうのか、いまだに断行の運びにいたらぬ。

そう、機が熟さないのです。

禁酒というのは大変なこと。もうお酒が飲めないのですから。

これから夏野菜も美味しくなり、ジュワッと揚げてさっぱりと南蛮漬けにでもした時、そのツヤツヤとカラフルな一品をなにといただけばいいのでしょう。ごはん?いやいや冗談。

冬になり新鮮な白子や濃厚なアンキモが売り場に並ぶ時、酒が飲めなかったらどうしたらいいのでしょう。鍋にする?そんな勿体無い!!

機が、機が、機が熟せば・・・

口では勝つとうそぶきながら、負け戦とは重々承知。酒飲みは永劫に自分の浅はかさと戦っているのです。

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