【太宰治】破滅を前に湧き起こる不思議な晴れがましさ 「新郎」

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太宰治
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この作品の文末にはこのような付記があります。

昭和十六年十二月八日之を記せり。この朝、英米と戦端ひらくの報を聞けり。

この文を読むだけで、日本人であれば当時の動乱、破滅のにおいを感じ取ることができるのではないでしょうか。

しかし太宰が描くのは、漫然とした毎日に「終わりの予感」が入り込むことによって生まれる一日一日への愛しさ、悟りに近い不思議な清々しさ。

「今を生きる」とは終わるを生きることである。おだやかで淡々とした文面で、そのこわさを紡ぐ一編です。

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「終わり」と向き合い生まれる晴れがましさ

終焉を予感するほど日々は尊くなり 尊くなるほどに美しくなる

「一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い」という書き出し。彼にとって空は以前より青く、一本の煙草を泣きたいような感謝の気持ちで味わう。我が子の鳴き声を聞けば慣れないながらあやしてやり、見納めのような気持ちで寝顔を見つめる。

毎日風呂に入り、爪や髭を手入れし、こまめに身体をいたわる。漬物と佃煮しかない膳を褒めながらありがたくいただく。

漫然と生きておろそかにしてきた全てを、大切に見つめ直す様子が描かれます。

悪口を言われようが相手のためなら厳しくし、嫌われても真摯に意見する。その気持ちが通じた時のたまらない嬉しさ。そして通じず、相手が離れていってもその成長を信じる強いおおらかさ。

陰口怖さにごまかしながら人と接することを捨て、真摯に正直に接することで得るよろこびも綴られます。

朝めざめて、きょう一日を、十分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります。私は、嘘を言わなくなりました。虚栄や打算でない勉強が、少しづつ出来るようになりました。明日をたのんで、その場をごまかして置くような事も今は、なくなりました。一日一日だけが、とても大切になりました。

「決して虚無では、ありません」という言葉通り、国の将来を信じているのです。日本は必ず成功する、僕は必ず成功する。しかし意識をそう生まれ変わらせたのは、やはり破滅の予感によるものなのです。

命が漫然とは続かぬ事を本当に理解した時、人ははじめて今を生きることと向き合う。

筆者の感じる不思議な「新郎(はなむこ)」のような晴れがましさを前に、読み手は「終わるを生きる」ことの難しさ、こわさを感じさせられる、そんな短編でした。

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