【太宰治】「列車」に見る善人の弱さ 愚かさ 恥ずかしさ

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太宰治
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太宰治処女作品集「晩年」から「列車」です。

「列車」の書き出しは、上野発青森行きC51型蒸気機関車への恨み節から始まります。

来る日も来る日も人々を別れに引き裂く不吉な列車。103号というナンバリングさえ気に入らない。それは、この列車がらみで「私」が非常に不快な目にあったことによるのです。

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汐田とテツさん

高等学校で「私」と仲が良かった裕福な汐田にはテツさんという恋人がいました。テツさんは貧しい育ちのため汐田の親には結婚を反対されているけど、汐田はどうしても結婚したい。汐田は親との口論で激昂して鼻血を出してしまうほどテツさんに真摯な愛情を抱いているのです。

そのうち「私」と汐田は一緒に上京して大学に入りましたが、苦労の多い「私」とのうのうと楽しい大学生活を送る汐田はだんだんとかみ合わなくなり、思想の違いもあって疎遠になっていきます。

ところがある日、汐田が「私」を訪ねてくるではありませんか。なんと郷里の恋人テツさんが、汐田の卒業を待ちきれず彼を追いかけて東京へ逃げてきたのです。

その有頂天で自慢げな様子から、「私」はテツさんが汐田にとって「激昂して鼻血を出すほど真摯に愛する相手」から「マウントの道具」果ては「お荷物」になってしまったことを感じ取ります。

そして、一見困ったように振舞う汐田の思惑通り「別れたほうがいいんじゃない」と皮肉を込めて忠告してあげるのでした。

それから4、5日後汐田から「あれから何人かに相談(というかマウント&悩むふり)してみたけど、みんながやめろって言うからやっぱり別れて帰ってもらうことにしたよ」という手紙を受け取ります。

ここまでは小ずるい汐田の人物像が不快な印象を担っているのですが、ここから語り手である「私」も充分に「悪気がないからより悪い!!」と怒鳴りつけたくなる愚かさを見せてくれます。これがあるから太宰はやめられない。

善良な「私」の浅はかな愚かさ

テツさんが郷里へ帰る日、「私」は妻を連れて上野発103号列車の発車時刻に合わせ見送りに出かけます。

自分の妻もテツさんのように貧しい育ちだから、自分なんかよりよっぽど気が合い上手に慰めてくれるだろう、と思ったのです。

自分は汐田のように冷たい人間じゃない、寂しく一人で帰るテツさんをわざわざ上野まで行って見送ってやるのだ。という優越感

話が合うだろうから、同じく貧しい育ちの妻と引き合わせてやるのだ。という無礼な善意

結婚がかなわず捨てられて送り返される女性のもとに「妻」を連れて行ってしまう愚かしさ

思惑が全て外れ、見送りの場の気まずい沈黙に耐えられず、テツさんと妻を残して列車を離れてしまう弱さ

「妻がもうちょっと気が利いていれば。やっぱり貧しい育ちの田舎女は・・・」と、自分の浅はかさを棚にあげる狡さ

そこへ目に入るのは同じ列車に乗り込んで徴兵されていく兵士と見送りの人々。ある思想団体に傾倒し、その後挫折した過去のある「私」は現実に戦場で血を流すであろう兵士を目にし、言いようのない恥ずかしさを感じます。

傷つかない立場にある「私」の浅はかな善意や浮ついた思惑がすべて、重い現実の前に凍らされ、打ち砕かれる様子は読んでいるこっちが転げ回りたくなるほど痛く、恥ずかしく、申し訳なく。

兵士の場面があることによって「私」の愚かさが友達の恋人にちょっと粗相をしちゃった、では済まされない、人として根源的なものであることを思い知らせるトドメとなって刺さります。

読んでいるこちらもこれだけ苦しいのに、書いている太宰はいかばかりか。

処女作品集の一編でありながら、人の愚かさ、弱さ、恥ずかしさをむきだしに描写して目の前に突きつけてくる容赦なさはすでに健在。

やはり太宰は怪物だなぁ・・・とこれを読むと思うのです。

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